隣人愛による恒久平和を訴え、願い続けた永井隆博士。永井隆記念館は、博士の精神と偉業を永く記念し、その遺徳を顕彰、博士の願いを如己堂とともにいつまでも広く発信していくために設立されました。
放射線医学者で、結核治療に力を入れていた永井博士は、戦時中のレントゲンフィルム不足により多量の放射線を浴びながら患者を診察し続けました。それが原因で1945年6月白血病と診断され、余命3年の宣告を受けたのです。
同年8月、爆心地からわずか700mの長崎医科大学の診察室で博士は被爆。重傷を負いながらも原爆被災者の救護活動に当たり、その後も白血病と闘いながら原爆症の研究と発表を続けました。
やがて白血病の悪化で寝たきりとなってからは、浦上の人々やカトリック信者仲間達の厚意によって建てられた二畳一間の「如己堂(にょこどう)」で執筆活動を続け、『この子を残して』や『長崎の鐘』などの多くの著作を残しました。
また戦後、博士は子供たちのすさんだ心を少しでも豊かにしようと、1950年に私財を投じて子供のための図書室「うちらの本箱」を作りました。その後海外からの洋書の寄贈や寄付金により、博士没後の1952年に「長崎市立永井図書館」が開館。1969年に「長崎市立永井記念館」と改称し、博士の遺品や写真等もあわせて展示されるようになりました。
1999年には全面改築され、翌年「長崎市永井隆記念館」としてリニューアルオープンしました。
「隣の人を自分のように愛し、戦争のない平和な世界を。いまも、そして永久に」という博士の精神と願いを国内外に発信し、平和教育推進の場としても活用されています。