1823年7月、島和蘭商館医として渡来したシーボルトは前に渡来した先学の商館医ケンペル(1690 年渡来)、ツュンベリー (1775年渡来) の功績をたたえ、これを記念するため1826年、この碑を出島花畑に建てました。
1885年出島整備により、この碑は長崎公園内に移建されましたが、1956年旧植物園が復元され現在地に移されました。碑文にはラテン語で「ケンペルよ,ツュンベリーよ,見られよ!ここに君らの植物,年ごとに緑そい,花咲きいでて,植えたる主をしのびつつ愛の花輪をささぐるを,ドクター・フォン・シーボルト」とシーボルトが先学をたたえた文字が刻まれていますが、その文から彼が日本研究によせた心情を読み取ることができます。その意味で、この記念碑はシーボルトその人の記念碑ともいうことができ、我が国の文化史上貴重な文化遺産として評価されているのです。