シーボルトが長崎市鳴滝(なるたき)に設けた私塾と居宅の跡で、「シーボルト宅跡」という名称で国の史跡に指定されています。
ドイツの医学者の家に生まれ、オランダの陸軍軍医であったシーボルトは、27歳の時に出島商館医として長崎に来日。当時日本に来た外国人は、出島から出てはいけませんでしたが、優秀な医者であるシーボルトは町に出て病人を診察することを特別に許可されました。
シーボルトは、長崎に来た翌年、鳴滝にあった家を手に入れ、ここに「鳴滝塾」を開き、日本各地から集まってきた医者たちに医学などを教えています。ここで学んだ人々は、やがて医者や学者として活躍しました。
建物は1874年の台風で大破し、1894年に解体されたので、旧形をとどめているのは2つの井戸だけとなりました。宅跡の中央には晩年のシーボルトの胸像があり、6月には周辺にシーボルトが愛する「お滝」の名をつけたオタクサ(アジサイ)の花が静かに咲き誇ります。
隣接地には、オランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅をイメージ化した赤レンガ洋館づくりの「シーボルト記念館」があり彼の業績を紹介しています。