唐通事東海家の本家と分家の墓地で、鉅鹿家魏之琰兄弟の墓(県指定史跡)と同様、長崎における中国式墳墓の代表的なものです。
東海家は中国人徐敬雲を始祖とし、その子2代東海徳左衛門から10代にわたって唐通事を勤め、2代徳左衛門は目附役、7代安兵衛は大通事助となりました。
この墓は、2代徳左衛門が敬雲夫妻を祀るために造立したものでその完成には数年を要し、延宝5年(1677)に完成したようです。
5段から成る墓は、とにかく壮大で広大な敷地に全部で29基の墓碑があり、獅子頭を施した石柱まであります。
この獅子頭には本来金の目玉がはめこんであり、夕陽を受けピカピカ光り、長崎に入港する唐船蘭船が入港の目印にしていたと伝えられています。